浅田均(あさだ ひとし)議員は、日本維新の会所属の参議院議員(大阪府選挙区選出、当選2回)です¹。1950年に大阪市で生まれ、京都大学文学部哲学科を卒業後、日本放送協会(NHK)に勤務し、米スタンフォード大学大学院で修士号を取得しました²。
1991年から経済協力開発機構(OECD)日本政府代表部に専門調査員として赴任し、98年に帰国。翌1999年に大阪府議会議員に初当選し、以降5期連続当選、2011~2014年には大阪府議会議長も務めました²。
2010年、橋下徹氏らと地域政党「大阪維新の会」を結成して大阪都構想の推進役となり、府市統合を目指す特別区設置協議会の会長として協定書の取りまとめに尽力しました(結果的に2015年の住民投票では否決)²。こうした実績から「維新の知恵袋」「維新の頭脳」と評され、維新塾の名誉塾長や党顧問など要職を歴任しています³。
国政への転身は2016年。第24回参院選(2016年7月)に大阪選挙区から維新公認で出馬し、初当選を果たしました。2022年の第26回参院選でも大阪選挙区で59万8021票を獲得して再選(定数4中3位)し⁴、通算2期目となります。
現在は参議院における維新の会派代表(参議院会長)として党をまとめる重責を担い、財政金融委員や憲法審査会委員も務めています⁵。在職中には党政策調査会長(政調会長)や参院予算委理事など要職を歴任し、政策立案能力の高さで党内外から信頼を集めています。
本レポートでは、2015年から2025年までの浅田議員の政治活動を網羅的に分析します。2015年以前は大阪府政の場で活躍していましたが、分析対象期間の中心は国政進出後の2016年以降です。浅田議員が直近の参院選(2022年)で掲げた公約の内容とその実現状況、国会での立法・発言活動、党内外での役割、政治資金や情報発信まで、公開情報に基づき詳細に検証します。有権者がその歩みを正しく評価できるよう、事実に即して客観的に記述することを心がけました。
浅田議員は2022年7月の参院選に際し、有権者に向けて「浅田均の8つの公約」と題する政策ビジョンを提示しました。大阪府選挙管理委員会発行の選挙公報にも掲載されたその公約集は、「日本に残された選択肢は維新しかない」との強いメッセージとともに、国家・社会の改革ビジョンを8項目に凝縮した内容でした。公約の柱には、維新らしい既得権打破と経済再生への意欲が色濃く表れています。
第1の公約は、政治改革に関するものです。浅田議員は自身も参加する「身を切る改革」の旗振り役として、国会議員の歳費や定数の3割削減など徹底した行財政改革を掲げました。議員自ら報酬を削減し無駄を削ることで財源を生み出すというこの約束は、維新全体の看板政策でもあり、浅田議員は「まず政治家が身を正すべき」と訴えました。
また、公党間で不透明な支出が問題視された「政策活動費」の全廃や、政治資金の即時公開・企業団体献金の禁止も主張し、政治腐敗の温床を断つ決意を示しました⁶。
第2に掲げられたのが「最低所得補償制度の導入」です。いわゆるベーシックインカム的な発想で、夫婦と子2人の家庭なら月24万円(一人当たり月6万円)を保証するという大胆な制度です。浅田議員は、教育無償化など長期策には時間がかかるため、「直ちに格差を解消する方法」として最低所得保障の必要性を説きました。
低所得世帯の可処分所得を底上げし、安心して生活再建・転職等に臨める環境を整える狙いです。この公約には「所得捕捉の徹底」という課題も伴いますが、浅田議員は「政権を担うことになれば取り組みたい」とまで明言しており、社会保障改革への強い意気込みが感じられました。
経済政策も公約の目玉でした。例えば第3の公約では、大胆な規制改革と成長戦略による経済再生を打ち出しました。長引く低成長を脱却するため、岩盤規制を見直し民間活力を引き出すこと、財政健全化は増税でなく経済成長によって実現することを目指す内容です(浅田議員自身「日本が年間2~3%成長できる経済力を付ける必要がある」と述べています)。
具体策としては産業のデジタル化推進、中小企業の新陳代謝促進、そして政府開発援助(ODA)の戦略的拡充なども視野に入れ、自由な経済活動がもたらす富で財政・社会保障の安定を図る構想でした。