紙智子(かみ ともこ)議員は日本共産党所属の参議院議員で、比例代表から通算4期当選しています¹。1955年1月13日に札幌市で生まれ、北海道女子短期大学工芸美術科を1975年に卒業後に日本民主青年同盟で活動し、1989年から共産党北海道委員会勤務となりました²。
1986年以来、参院選で4回、衆院選で3回立候補するも落選が続きましたが、2001年の参院選比例区で初当選を果たしました³。以来2007年、2013年、2019年と連続当選し、在職期間は2001年から2025年現在まで約24年になります⁴。
党内では2010年から党中央委員会常任幹部会委員を務め、農林・漁民局長(農林水産部会長)として農政分野の政策を統括してきました⁵。参議院では農林水産委員会や震災復興特別委員会など農業・地域再生に関わる委員会を中心に活動し、参院国会対策副委員長として国会運営にも携わりました⁶。
紙議員は「いのち、食と農が原点」というモットーを掲げ⁷、農業や食の安全、地方の暮らしを守る政治家として知られています。大学卒業後に白衣メーカーに勤務した経験や、北海道出身で農村風景を原風景に持つ自身の背景から、「誰も飢えることのない未来を」との信念を持ち、国政に取り組んできました⁸⁹。
本レポートでは、2015年から2025年までの10年間に焦点を当て、紙智子議員の政策公約、立法活動、国会発言、党内外での役割、政治資金や発信活動など多角的に分析します。有権者がその足跡を深く理解し評価できるよう、公的資料や報道に基づき事実を網羅して記述します。
紙智子議員が直近に当選した2019年参院選(第25回通常選挙)では、日本共産党比例代表候補として全国を遊説し、自身のスローガンとして「いのち、食、農を守る」を前面に掲げました¹⁰。
選挙公報や演説で繰り返し強調したのは、農業再生と食料主権の確立です。BSE(牛海綿状脳症)問題では2001年9月の国内初発見を受けて国会で積極的に追及し¹¹、国産牛肉の全頭検査制度やトレーサビリティ制度の実現に向けた論戦に参加した経験を持ちます。こうした経緯から「生産者に自己責任を迫る新自由主義的農政から、人と環境にやさしい農政への転換」を訴え²、農家所得の安定や食料自給率向上を公約の柱に据えました。
加えて、暮らしと平和に希望を持てる社会を目指すビジョンも示しました。具体的には年金について「減らない年金」制度を提案し¹²、消費税の増税中止と生活支援策の拡充を約束しました。また「くらしに希望を」というキャッチフレーズのもと最低賃金引き上げや教育負担軽減などの政策パッケージも掲げています¹³。
一方で安全保障では憲法9条を守り活かす平和外交を主張し、安倍政権下での安保法制(戦争法)強行に反対する立場を鮮明にしました¹⁴。原発ゼロ社会の実現も党公約として強く訴え、福島第一原発事故を経験した日本で「原発のない日本」を目指す決意を示しました。
実際、紙議員自身も東日本大震災翌日に被災地入りし、「亡くなった人の分も生きる」という被災者の声を胸に活動してきたと語っています¹²。この言葉は彼女の政治活動の原点の一つであり、公約にも「被災者に寄り添う復興政策」として反映されました。
紙議員の選挙公約に現れたキーワードを頻度順に見ると、「農業」「農家」「食料」「年金」「消費税」「憲法9条」「原発」「復興」「平和」「暮らし」などが上位に並びます。これら約10語から、彼女の政治姿勢が浮かび上がります。すなわち、第一に農と命を守ること、第二に社会保障で暮らしに安心をもたらすこと、第三に憲法を軸に平和と原発ゼロを追求することです。
例えば「農業」という言葉は公約文中で特に目立ち、実際に「日本の食料自給率38%では危うい。『食の安全保障』と言うなら自給率を向上すべきだ」と訴える姿に表れています¹⁵。また「消費税」「年金」についても、公約で減税や給付改善を掲げただけでなく、国会質問で「物価高で苦しむ庶民への減税を」と政府に迫るなど具体的に追及してきました¹⁶。
平和と憲法に関しては、公約で安保法制撤回や沖縄基地問題の解決を訴え、国会討論でも「もう二度とあんな戦争をしてはいけない」という戦争体験者である父親の言葉を引きながら、「9条を生かした平和外交を強く求める」と他党も含め共感を呼ぶスピーチを行いました¹⁴。
以上のように、選挙公報から読み取れる紙議員の重点分野は、農業と食の安全保障、暮らしの安心、そして平和主義に集約されます。それらは彼女自身の人生経験と一貫しており、公約全体を通じて有権者に「命と暮らしを守る政治」への強いコミットメントを示していました。