川田龍平議員の政治活動総覧(2015–2025)

概要

川田龍平(かわだ りゅうへい)は、立憲民主党所属の参議院議員で、薬害エイズ事件の原告として知られる人権活動家から政界に転身した異色の経歴を持つ政治家である¹

1976年1月12日に東京都小平市で生まれ、生後6か月で血友病と診断されましたが、その治療に用いた血液製剤によってHIVに感染し、1986年(10歳の時)に母親からその事実を知らされたという過酷な幼少期を送りました¹。高校・大学時代から自ら実名を公表して薬害エイズ訴訟を戦い、1996年3月に国に責任を認めさせ和解を勝ち取った経験は彼の信念の原点となっています¹

政界への転身と議員活動の軌跡

2007年、第21回参議院選挙に東京選挙区から無所属で出馬し、683,629票を得て当選(当選時31歳)²³。無所属での参院当選は市川房枝以来42年ぶりという偉業でした²

その後、みんなの党に入党して議員活動を本格化させ、2013年には同党公認で全国比例区から再選(党内最多の117,389票)を果たします³。しかし同年末、秘密保護法への反対票を投じてみんなの党を離党し、江田憲司氏らと結いの党を結党

さらに結いの党が維新の党へ合流すると党国会議員団総務会長などを歴任しました。2016年には民進党に合流し「次の内閣」厚生労働大臣に就任するなど経験を積み、民進党分裂後の2017年12月に立憲民主党へ入党

2019年の第25回参議院選挙では立憲民主党比例区名簿で3度目の当選を果たし(94,702票、名簿順位6位)、現在まで参議院議員を連続3期務めています。党内では参議院政策審議会長や両院議員総会長など要職を歴任し、2019年には参議院行政監視委員長にも就任して国会統制の重責を担いました

分析対象の2015–2025年は、川田氏が野党議員として第二次安倍政権以降の諸課題に積極的に取り組んだ時期に当たり、本レポートではその政策提言と実績を多角的に検証します。


1. 選挙公報・マニフェスト分析

「いのちを守る」を軸とした政治理念

川田龍平氏の直近の公約を見ると、キーワードは一貫して「いのちを守る」です。2019年参院選の選挙公報・政策集では、「一番大切なものは、いのちです。」というスローガンの下、「いのちが最優先される社会の実現」を掲げて10項目の約束を示していました¹⁰¹¹

その内容は多岐にわたりますが、軸にあるのはいずれも国民の生命・健康や生活を守るための政策です。具体的には以下の項目が掲げられていました。

公約の10項目

(1)政府の情報隠蔽が招いた薬害被害を繰り返さないよう「薬害をなくす」こと

(2)児童虐待や若者の自殺が増える社会を変えるため「子どもファースト」の支援を充実させること

(3)水道民営化に反対し老朽管の更新などインフラを公的責任で守ること¹²

(4)ネオニコチノイド農薬やグリホサート系除草剤の大量使用を減らしミツバチや子どもの健康を守ること¹³