生稲晃子(いくいな あきこ)議員は、元アイドル歌手・女優という異色の経歴を持つ政治家である。東京都世田谷区出身で、恵泉女学園短期大学を卒業後、1980年代に人気アイドルグループ「おニャン子クラブ」のメンバー(会員番号40番)として芸能界で活躍した¹。
以降もタレントや女優として活動し、近年は自身の乳がん闘病経験をきっかけに医療・健康分野の啓発にも取り組んできた。そうした経験が評価され、政府の「働き方改革実現会議」フォローアップ会合の民間委員や、厚生労働省の「がん対策推進企業アクション」アドバイザリーボードメンバーなどを歴任している²。2015年以降は政策提言の場に専門家として関わりつつ、芸能活動と並行して子育てや健康支援の発信も行っていた。
やがて政界から白羽の矢が立ち、2022年夏の第26回参議院議員通常選挙に自民党公認で東京都選挙区(改選数6)から立候補した³。同選挙では、自民党現職の朝日健太郎氏と票が重ならないよう「タレント候補」を擁立する方針の下、安倍晋三元首相らが中心となって生稲氏の擁立が決まった経緯が報じられている⁴。
選挙戦では安倍氏や萩生田光一氏(東京都連会長)の強力な支援を受け、音楽業界団体からの組織的な支持も得た⁵。投開票の結果、生稲氏は初出馬ながら619,792票を獲得し、6人中5位で初当選を果たした(トップ当選は朝日氏)⁶。
参議院議員としての任期は2022年7月から始まり、本報告の分析対象期間である2015–2025年においては、主に2022年後半以降の活動が該当する。現在、生稲議員は参議院議員1期目で、自民党所属のまま在職中である。党内では女性局次長やインターネットメディア局次長、厚生労働関係団体委員会副委員長といった役職を務めており⁷、2024年11月には第2次石破内閣で外務政務官(外務省の副大臣に相当する政務ポスト)にも抜擢された⁸。
本レポートでは、そうした生稲議員の政策・議会活動全般について、直近10年間の情報と最新の追加調査結果をもとに詳述する。
生稲晃子氏の直近の政策公約は、2022年参院選の選挙公報および自身の公式サイトに詳細に示されている。そのスローガンは「もっと自分らしさを生かせる社会、誰もが働きやすい国を目指し、精一杯走っていきます」と掲げられ⁹、本人の豊かな経験を政策に昇華させる意欲がうかがえる内容だった。
公約の柱の一つは「がんから国民を守る」ことである¹⁰。自身が乳がんを克服した経験から、特に女性特有のがん治療や早期発見、治療と仕事の両立支援を充実させる決意を示した¹¹。
具体策として、主治医・企業・両立支援コーディネーターが連携する「トライアングル型支援」の全国的な普及を提唱し、大病を抱えても生きがいを持って働き続けられる社会を作ると訴えた¹²。この「治療と仕事の両立支援」という発想は、彼女が民間委員を務めた働き方改革会議でも提起されていたもので¹³、公約に自身の専門性を反映させた形だ。
もう一つの柱は「女性が働きやすい環境をつくる」というテーマである¹⁴。結婚・出産・育児で一時離職した女性の再就職支援の充実、待機児童ゼロの実現、そして病児保育の拡充など、女性や子育て世代が直面する課題への具体策を掲げた¹⁵。
この背景には、少子化が深刻化する中で東京を「子供を産み育てたい街」に変えていきたいという強い問題意識がある¹⁶。実際、生稲氏は選挙公報で「子どもたちに希望と未来を」と訴え、子育て環境の整備や教育支援に意欲を示していた。
公約には「コロナに負けない経済活動の支援」も盛り込まれた¹⁷。飲食業や中小企業経営、エンターテインメント業など自身が携わってきた業界がコロナ禍で被った打撃を実感しており、その「生の声」を国政に届けて必要な支援策につなげると誓っている¹⁸。
さらに、東京都選出議員として「東京を守る。東京を動かす。」とのセクションを設け、都市政策にも踏み込んでいる¹⁹。災害対策の強化、超高齢社会に向けた健康長寿都市の構築、障がい者が安心して暮らせる街づくり、そして観光復興や環境先進都市としての東京を目指すビジョンを示した²⁰。
加えて、多摩地域と島しょ部の振興にも言及し、「多摩・島しょは東京の宝」と位置付けて地方創生的な公約も掲げている²¹。多摩地域の防災強化や産業活性化、島しょの港湾整備や観光振興、さらには多摩都市モノレールの延伸や再生可能エネルギー導入推進など、東京の周縁地域への具体策にも踏み込んだ²²。