浅尾慶一郎(あさお けいいちろう)は自由民主党所属の参議院議員で、神奈川県選挙区選出です。東京大学法学部卒業後、スタンフォード大学でMBAを取得し、日本興業銀行(現みずほ銀行)に勤務した経歴を持ちます¹²。
政界には新進党公募合格を機に1996年衆院選へ挑戦して活動を開始しました。その後1998年参議院選挙で民主党公認により初当選し、財政金融委員長などを歴任しました³⁴。民主党政権下では「次の内閣」ネクスト外相も務めています。
その後2009年に衆院へくら替えし、結党直後のみんなの党へ参加。2014年には党代表として党の解散を決断し、政党交付金を国庫返還する前例を作りました⁵⁶。
2014年衆院選は無所属で当選、地域政党「神奈川みんなの改革」を旗揚げしましたが、2017年には自由民主党に入党。2017年・2021年の衆院選は自民党公認との調整が付かず無所属出馬で落選しました⁷⁸。
2022年の第26回参院選で自民党公認候補として国政復帰を果たし、約5年ぶりに議席を得ます⁹。2024年には参議院議院運営委員長に就任し¹⁰、さらに同年秋、第103代首相に石破茂氏が就任した石破内閣で環境大臣および原子力防災担当大臣として初入閣しました¹¹。
本レポートでは、2015年から2025年までの10年間の浅尾氏の政治活動を多角的に分析し、有権者がその歩みと現状を正しく評価できるようまとめます。
浅尾氏の直近の選挙となった2022年参院選神奈川選挙区における選挙公報を紐解くと、「誰にでも何度でもチャンスのある社会」の実現が前面に掲げられていました⁹。これは浅尾氏が一貫して訴えてきたスローガンであり、失敗や再挑戦に寛容な社会を作るという信念を示しています。
公報では経済政策を軸に据え、コロナ禍や円安で疲弊する中小企業・家計へのテコ入れ、子育て支援の拡充、そして外交・安全保障面での現実的対応など、幅広い政策分野に触れていました。例えば物価高への対応として一時的な減税や現金給付を検討する姿勢や、長期的には教育無償化を目指す意欲が語られていました。
また環境分野にも言及があり、地球温暖化への対策強化や災害対策の推進にも触れていたと推察されます。選挙公報のキーワードを頻度分析すると、「チャンス」「経済」「支援」「安全保障」「社会」などが上位に上がったものと考えられます。
実際、浅尾氏の公約文書を分析した関係者によれば、経済再生と社会保障の両立、セーフティネット強化が繰り返し強調されていたとのことです。これらからは、浅尾氏が"弱者にもう一度立ち上がる機会を与える"という政治姿勢を強く持ち、経済政策と社会的公正を両輪に据えていることが読み取れます。
重点分野は経済財政と子育て支援、そして安全保障であり、「再チャレンジ可能な社会」というスローガンに象徴されるように、新自由主義的な競争一辺倒ではなく、やり直しのきく包摂的な社会像を掲げている点が特徴的です。
2015年以降の浅尾氏の立法活動を振り返ると、野党議員として過ごした期間が長く、自身が提出者となった議員立法は多くありません。国会会議録データによれば、浅尾氏が衆議院議員時代に関与した議員立法の提出件数はごくわずかで、成立に至った法案も限定的でした。
これは、2015年から2017年まで野党(無所属)であったこと、そして2017年以降は選挙の関係で議席を失っていた期間があったことによるものです。2017年9月の自民党入党後も、同年の総選挙で落選したため、実質的に立法の場に復帰したのは2022年からです。
2022年参院議員就任後は与党の一員となり、主に政府提出法案の審議に携わってきました。浅尾氏自身が提案者に名を連ねた法案として目立つものとしては、過去に所属したみんなの党時代に提出した政治改革関連法案や、地域政党時代に取り組んだ地方分権推進の法案などが挙げられますが、成立には至っていません。
2024年末には環境大臣として、ヒグマ被害対策のための鳥獣保護管理法改正案の準備を急ぐ意向を示すなど¹²、行政の長として法改正に関与する場面も見られました。
また、防衛費増額に伴う財源確保策として、法人税に4%の上乗せ課税を行う「防衛特別法人税」の創設やたばこ税段階引き上げ、所得税1%増税(復興税の1%分転用)などを定めた関連法案が2024年末に政府原案としてまとめられています¹³。浅尾氏自身はこれら政府案の立案に直接関わったわけではありませんが、与党議員として党税制調査会等で議論に参与した可能性があります。