天畠大輔(てんばた だいすけ)議員は、れいわ新選組所属の参議院比例代表議員(1期)で、2022年7月に特定枠候補として初当選した政治家です¹。
1981年12月29日に広島県呉市で生まれ、14歳で医療事故により四肢麻痺・発話障がい・視覚障がい・嚥下障がいを負いました²。以後、車椅子と介助者による生活を送りながら学業を続け、ルーテル学院大学卒業後に立命館大学大学院へ進学。
2019年に「日本で最も重い障がいをもつ研究者」を自称する彼は、発話や読字が困難な状況で周囲約200人の協力を得て博士号(学術)を取得し³、一般社団法人「わをん」の設立や大学研究員としての活動を経て政界に転じました。
重度障がい当事者として初めて国政選挙における比例特定枠制度で立候補し、れいわ新選組が2022年参院選比例で2議席を獲得すると、その一つを担って参議院議員に就任しました⁴。特定枠制度では個人得票数は制度上意味を持たず、政党の総得票数によって議席が決まります。
当選後は参議院厚生労働委員会や政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員会に所属し⁵、重度障がい者としての経験を活かした福祉政策の推進と社会的少数派の代弁に精力的に取り組んでいます。
天畠議員が直近の2022年参院選で掲げた公約は、障がい当事者の視点に立った社会変革が中心でした⁶。彼の選挙公報や政見放送では、「優生思想からの脱却」「誰もが生きやすい介助制度の実現」「本人目線の精神医療・福祉」といった柱が鮮明です⁷。
重度障がい者として自身が直面してきた課題を社会全体の問題として捉え、"弱さを切り捨てない社会"を目指す姿勢が一貫していました。
例えば、公約の第一に掲げられたのは旧優生保護法下での強制不妊手術被害など「優生思想」の問題であり、戦後最悪とも言われる人権侵害を二度と繰り返さないよう国家の謝罪と補償、そして差別思想の根絶を図る決意でした⁸。
第二の柱では、「どこにいても、何をしていても介助をつけられる社会」を実現するため、現行制度の不合理な制限を撤廃する具体策が提示されました。重度訪問介護制度が就労・就学時に使えない問題(厚労省告示による制約)を挙げ、これを改正して働くときも学ぶときも介助者の支援を受けられるようにすると明言しています⁹。
また65歳以上になると障害福祉サービスではなく介護保険優先になる現在の仕組みを見直し、馴染みのヘルパーによる支援が高齢期まで継続できるよう制度改革を訴えました¹⁰。
第三の柱では精神科医療や地域ケアについて、入院長期化や隔離偏重を改め、地域で安心して暮らせる支援体制(いわゆる「医療的ケア児・者」への支援強化など)を強調しました¹¹。
公約文から浮かび上がるキーワードは「障がい」「介助」「社会参加」「優生」「人権」などで、上位10語には「障がい者」「ヘルパー」「制度」「優生思想」「訪問介護」「障害年金」といった語が並んでいたと推測されます¹²。これら頻出語から読み取れるのは、彼が福祉・社会保障分野に政策の重点を置き、"公助による包摂"という明確な政治姿勢を持っていることです。
スローガンにも具体策にも自身の体験に根ざしたリアリティが込められており、有権者には専門的な政策課題を平易な言葉で訴える努力が見られました。例えば、「寝たきりでも生きたいと思える社会に」とのメッセージ¹³は、超高齢社会を迎える日本で誰もが当事者になり得る問題として訴求し、多くの共感を呼びました。
天畠議員のマニフェスト全体像を通じて浮かぶのは、「最も弱い立場の人を切り捨てない社会」を実現するという強い信念です²。それは彼自身が「日本で最も重い障がいをもつ研究者」として培った視点であり、優生思想への批判から介助制度改革まで一貫しています¹⁴。
公約における具体的提案は専門的な制度論に及びますが、頻出する言葉の背景には「人間の尊厳」「公的支援の責任」という普遍的価値観が横たわっています。選挙戦では《家族ではなくまず公助を》というメッセージを強調し、自民党の2012年改憲草案にあった「家族は互いに助け合わねばならない」との条文を引き合いに「高齢者や障がい者の介護を家族任せに戻すのか」と警鐘も鳴らしました¹⁵。