松崎真琴(まつざき まこと、1958年4月生まれ)は、日本共産党所属の政治家で、鹿児島県を拠点に活動してきた。熊本県八代市の出身で、熊本県立八代高校から鹿児島大学教育学部を卒業後、熊本県内の公立小学校教諭として勤務。その後結婚を機に鹿児島市へ移り、保育士や小学校講師、障害児施設指導員、学童保育指導員など教育・福祉分野の職を歴任した¹。
政治の道に進んだきっかけは、現場で子どもたちや弱者を支える中で感じた社会の歪みに対する危機感だとみられる。2011年に鹿児島県議会議員選挙(鹿児島市・鹿児島郡区)に共産党公認で初当選し、2015年の同選挙でも11,231票を得て再選²。県議として2期8年在職し、党鹿児島県議団の一員として県政に携わった。
議会では福祉や暮らしの課題を中心に鋭い追及を行い、国民健康保険税の負担軽減や県単位化問題、県発注の建設事業の見直しなど住民生活に直結するテーマを積極的に取り上げたとされる。例えば、滞納世帯への過度な差し押さえ措置に反対し生活再建支援を訴えたり、県内唯一稼働中だった川内原発(2015年に再稼働、三反園訓氏は2016年に知事就任)に対して「原発は県民の命にかかわる重大問題」とゼロを主張するなど、その発言には常に社会的弱者の目線と反戦・脱原発の信念が貫かれていた。
松崎氏は共産党内での信頼も厚く、党鹿児島県委員会では副委員長や書記長を歴任、党中央委員にも名を連ねている³。
2019年4月に県議を勇退(同年の統一地方選で議席を失った)後は国政挑戦に軸足を移し、同年7月の第25回参議院議員通常選挙では共産党比例代表名簿に登載された。続く2021年10月の第49回衆議院選挙では鹿児島2区から野党統一候補(共産党新人)として出馬し、比例九州ブロックにも重複立候補した⁴。
鹿児島2区は保守地盤が厚く、自民前職の金子万寿夫氏、元県知事の無所属新人・三反園訓氏との三つ巴の戦いになったが、松崎氏は「野党共闘で政権交代を実現しよう!」と声を張り上げ、「今こそ政権交代」「なによりいのち」をスローガンに掲げて奮闘した⁵。結果は及ばず初当選はならなかったものの、野党共闘の旗手として保守王国に一石を投じた意義は大きかったと言える。
その後、2022年7月の第26回参議院選挙では鹿児島県選挙区(改選数1)から立候補表明をしたものの、公示直前になって立憲民主党推薦の無所属・尾辻朋実氏に一本化するため出馬辞退を決断した⁶。共産党公認候補が選挙区で取り下げとなり他党候補を支援するのは異例だが、松崎氏自身「自民党政治を終わらせる」という大義のために身を引き、党県委員会として尾辻氏を自主支援する道を選んだ⁷。
このように彼女の政治活動は、一貫して市民目線の政策実現と野党勢力の結集に力を注いできた。本レポートでは、2015年から2025年までの松崎真琴氏の政策・活動を網羅的に分析し、有権者がその軌跡を立体的に把握できるようまとめる。
松崎氏の直近の公約は、2021年衆院選および2022年参院選で訴えた政策に凝縮されている。掲げたスローガンは「自民党政治のゆがみを正す改革をすすめ、希望ある新しい政治を実現します」であり、現政権による長年の弊害を是正して国民に希望をもたらす新政治を目指すという力強いメッセージだ⁸。
公約の柱は幅広いが、いずれも弱者救済と平和主義の観点で一貫している。
まず「政治とカネ」の問題では、企業・団体献金の全面禁止を掲げた⁹。政治資金パーティー券収入も含め、一切の企業献金を禁止するという踏み込んだ内容で、金権腐敗を断つ決意が表れている。
経済政策では中小企業支援と労働者の処遇改善が中心だ。最低賃金を全国一律1500円に引き上げ、そのために中小企業への直接支援を行うとした¹⁰。物価高騰やコロナ禍で疲弊する地域経済を下支えし、地方でも都市部と同水準の最低賃金を保障することで格差是正を図る狙いだ。